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西成製靴塾あたり1
『トラウマ』
世間知らず、社会生活不適合者。
自分を言葉で表現するなら、そんな奴だと思う。
21歳で結婚。それを期に15のときから目指していた、ミュージシャンとしての活動をやめた。にもかかわらずだ。24歳、音楽活動再開。諦めきれぬ想いが衝動を掻きたてた。生活をかえりみない”エゴ”だけが、むやみやたらに血管を駆け巡っていたあの時。
嫁<音楽、・・・ごめんなぁ。
ギターを抱え街頭に立つ。昼間は靴メーカーで製造の仕事に携わりながら、夜はストリートとバンド・リハ。朝7時過ぎにギターを抱え出勤し、帰宅は午前様。生業としての靴、それにしたい音楽・・・。数年に渡り続いたそれは、心身の疲労と、夫婦間の亀裂を徐々に深くしていった。あの時の、倒れ込むように入り込んだベットの生暖かい感触や、掛け布団の上で「みゃー」と鳴いていた、アメリカン・ショートヘアーのやわらかな重さが、今も胸を、チクリと刺す。トラウマ。
インフルエンザ、結核、ヘルペス、急性胃腸炎、・・・まとめて 苦笑。
病床で点滴を受けながら、医師に迫られた。
「音楽やめますか、それとも生活やめますか?」
「嫁のために、生きようと思います。」
とある冬の夜、僕は病院へ運ばれた。委ねられた決断の答えは、自分に対しての甘えの言葉だった。睡眠不足。売れない自費出版の音源。ストリートでの罵声。好きな音楽であるが故、耐えがたいストレスと疲労は、イコールでは綴られはしない、ありきたりの結婚生活にすり替わっていった。完全に自分のためだけのジャッジメント。虚勢を張り、大きく見せようとする自分自身の言い訳が、約束すらも守れない男のくそったれな言葉に代弁された。きんとした空気の張りつめる病室で、しぼんでいく溶液の入ったビニール袋と、その傍らの相方の顔。
あのときあなたは、どんな表情をしていたんだろう・・・。
「あなたのために生きようと思います。」
そんな言葉から数年、29歳、離婚。
ライン制御された靴工場。夢にまで見た音楽家としての生活。そして、終わってしまった結婚生活。何もかも虚勢を張って生きてきたのは、笑ってしまうくらいわがままで、気の弱い自分を守るための行為だったんだと今更ながら思う。自分の言動が、たくさんのヒトを傷つけてきた。当たり前、気がつけば周りには誰もいなかった。くだらねぇと吐いて捨てた様々なその代償は、今、僕の中にトラウマとなり住み着いている。
どっかの誰かが言っていた。
「トラウマはずっとなくなるモンじゃない。」
今、kokochiの靴を創らせているのは、自身のトラウマかもしれない。








